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ひめさとこ
株式会社しんぷるすまいる代表
「やさしいコミュニケーションで創るオリジナルライフ」『知識』だけでなく、その先にある『習慣化』と『信念の変化』をサポートすることで、その人らしい人生を応援します。

わがまま放題の幼少期から、一風変わった子育て

1.一人っ子・人見知りの幼少期~小学生時代

2.なんとなく過ごした中学生時代

3.遊びまくった高校時代

4.大人に憧れたフリーター

5.結婚・出産・子育て

6.一風変わった子育て・離婚・就職

1.一人っ子・人見知りの幼少期~小学生時代

幼少期の記憶はあまりないのですが……

まぁ、ひとりっこなんで

甘やかされてましたね。

嫌いなものは食べなくていい。

欲しいものはだいたい買ってもらってました。

わがままだよね。

幼稚園の時に、お遊戯会で

チュールのスカートの子と

サテンのスカートの子がいたんだけど、

あたしは、サテンで、

チュールが着たくって、

すんごいイヤだったのを今でも覚えてる。

やりたいことはやりたい!!

って、わがまま

今でもあるなー

だから、すごろくも、日本一周も、

できたのかもだけどね。(笑)



ひとりっこだからさ。

遊ぶのもひとり。

塗り絵をしたり…

手芸をしたり…

つくるってことをしてたなー

本は苦手だったけど、

文章を書くのは好きだった。



父が転勤族だったから

小学校は3校行きました。

転校生って、

学校行くだけで、チヤホヤされる。

教室に座ってても、

道を歩いてても、

声をかけてもらえる。

人見知りなうえに

自分から声かけなくても

来てくれるから、

自分からは声をかけない。

そんなパターンができあがったのは

たぶんこの頃。

ま、結局、

子どもの頃から、

人見知りだし、

引きこもりだし、

運動嫌い。

作るのが好き。

このあたりは、

今も、何も変わってない。

三つ子の魂百までって

ほんとだね。



2.なんとなく過ごした中学生時代

運動嫌いだから、

運動部なんて選択肢はなかった。

入ったのは美術部。

というか、それしか考えられなかった。



人と同じがイヤで、

なんで制服を着なきゃいけないんだろう?

ってずーーーっと疑問を持ち続けてた。

あたしが行った学校は

小学校までは、私服だったし、

当時、西宮市ってとこは、

ランドセル禁止だったんだよねー

そんなだったから、

余計に疑問だった。



人と同じがイヤってのは、

高校を選ぶときにも思った。

当時は、公立高校の場合、

住んでる地域ごとに

どこの高校に行くか?

決められてたんだよね。

だから…

小学校から、中学・高校も

その通りに進むと同じメンバーが持ち上がる。

もちろん、他校からも来るんだろうけど……

おもろくないやん。

ってのがあたしの思考回路。

普通科もおもろくない。

だから、美術が学べるとこを選んだ。

京都にあったんやけど、

遠いからって理由で

親の許可を得られず、断念。

近いとこにも美術科があったから

そこに進むことになったんだけど、

ぶっちゃけ、

あんまりかしこい学校じゃなかったから、

受験勉強ってのは一切しなかった(笑)



中学3年の時には、

あたしが小学生の頃から、

入退院を繰り返してた母が他界した。

でも、

母が家にいないのが当たり前になってたから、

つらいとか、悲しいとかって感情は

ほとんどなかった。

お葬式の時も、

泣いてる友達を

なぜかあたしがなぐさめてた。



3.遊びまくった高校時代

女子高だったんだけど

美術科は、おもろかった。

1クラスしかないから、

3年間、おんなじメンバー。

だけど…

だからこその一体感。

連帯感。

クラス全体でいたずらしてた。

隣のクラスが体育でいない時は、

全員で、隣のクラスに移動してたり……

雨が降ってる日は、

全員で教室で傘をさしてたり……

あるいは、

全員が後ろ向きに座ってたり……

とにかく、いろんなことをして

先生を驚かせてた。(笑)



美術の時間は、さらに自由。

やる気が起きない時は、何もしないもOK!

締め切りさえ守ってれば良かった。

先生が個人的に買ってきた

パズルをこっそり完成させちゃったり……

消しゴム代わりのパンを食べてたり……

本当に楽しかった。



学校にバレないように

放課後は、バンドもやってた。

担当はキーボード。

小学校の頃から、

友達の影響で

エレクトーンを習ってたから

そーなった。

シンセサイザーとか買って

チャリンコに積んで

スタジオに持ち込んで練習。



進学校ってわけでもなかったし……

大学に行く気もなかったから、

本当に、その日、その日を楽しんでた。

いざ、卒業ってなった時も、

ちょこっと働いて、

結婚すればいいぐらいにしか思ってなかったから、

先生にも、

「先生も大変そうだし、あたしのことはいいよ。

テキトーにするから」

って言ったら……

『そうか。助かる』って言われたぐらい。(笑)

親も何も言わなかったし…

女の子だから、それでいいと思ってたんだろうね。

4.大人に憧れたフリーター

そんなわけで、大学に行くでもなく、

就職するでもなく、

フリーター生活が始まった。

工場とか、CDショップ・CDレンタル、

いろんなところでバイトした。

美術も、音楽も、好きだけど……

それで食べていくのは難しいから、

あきらめた。



車の免許を取って、

六甲山に行き始めたのもこの頃。

バイト先の先輩の車に乗せてもらって

六甲山にドライブに行った時に、

事故ってる車がいて、

先輩が車を止めて、

助けに入ったんだよね。

それを見た時に、大人だな。

カッコいいな。って思った。

先輩もカッコよかったけど、

どちらかと言うと

『大人』に憧れた。

そこから、

車にのめり込み始めた。



5.結婚・出産・子育て

バイト先で知り合った人と結婚して、

岡山に引っ越した。

子どもを2人、3歳違いで産んで

子育てに追われる毎日。

子どもは、あたしが守らなきゃいけない。

そう思っていた時に、

なにかで見た文章が衝撃的だった。

「子どもは親を超えるもの」

そう書いてあった。

最初は意味がわからなかった。

読み進めると、

子育ての目的は、子どもの自立。

時代はどんどん進化していくから、

子どもは自立して、親を超えていく必要がある。

といったような内容が書かれていた。

“たしかに!”

「子どもは親が守るもの」

そう思っていたあたしにとっては目からウロコだった。

その日から、あたしの子育ては大きく変わった。

子どもを自立させようと思った。

母が早くに他界したこともあったから、

あたしが死んでも、大丈夫な子にしようと思った。

でも、教育ママゴンは、3歳まで。

と決めてた。



一風変わった子育て・離婚・就職

子どもが小学生の頃、離婚した。

離婚を切り出して3日で、離婚届提出。

長くなればなるほど、

周りがいろんなことを言いだし、

面倒なことになると聞いていたから。



そこから、あたしの異色の子育ては加速した。(笑)

あたしがいなくなったら、

本当に子どもだけになるからだ。

もちろん、父親や、あたしの父がいたけど、

自立させておいて悪い事はないと思った。



洗濯はすでにできるようになってた。

失敗から学ばせた。

ある日、ズボンのすそをくるくるっと

巻いたまま、洗濯機で洗って、

そのまま、干してた。

この段階では、あたしは何も言わない。

取り込む時になってから、

「くるくるのとこ、乾いてないねー」

「くるくるのとこ、伸ばしたら砂が出てきたねー」と

くるくるにしたままだと色々、マズい。

ということを学ばせた。

ごはんも子どもたちが作ってくれる。

養育費も子どもたちが自分のは各自で管理。

毎月、農協さんに来てもらって、

子どもたちがそれぞれ、自分の養育費を

貯金や習い事の月謝などに振り分けてもらってた。

「子どもが通帳を持ってでてくるのは、

あなたの家だけだったよ」

と農協さんには言われ続けてた。(笑)

今考えると、課題の分離ができてたんだよねー



あたしは、離婚を機に

「就職しないか?」と誘いを受け、

はじめての就職。

「珍しいヤツやなー」と言われつつ、

就職させてもらって、

安定したお給料を手に入れた。

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